「正確に中国の改革と発展を解釈できたならば、ノーベル経済学賞ものだ。」と、1976年度のノーベル経済学賞受賞者である、ミルトン・フリードマン氏がいっています。それほどに中国は、国土が広く、人口も多く、地域格差があり、制度が複雑です。昨年末、中国国家統計局は、自国のGDPを過小評価していたとして、2004年のGDPを16.8%上方修正したという情報もあります。それにより、中国はここ数年10%以上の経済成長をしてきたことになります。日本人が最近味わっていない、右肩上がりの絶好調経済です。少なくとも、2008年の北京五輪と2010年の上海万博まではこの調子ではないかと予測されます。一方で、「中国経済崩壊説」や「中国脅威論」あるいは、「環境破壊大国」「伝染病温床国」と言うイメージまで出てきてしまいました。まさに、光と影が混在している中国です。 上海という街は実に都会です。東京よりある意味、大都会かもしれません。少なくとも高層ビルの林立本数は東京より多いと言われています。もっとも現地の案内人によれば、建設しても全く入ってない高層ビルもあるとか。日本企業系のビルは管理がしっかりしているので入居に競争率もあるそうですが、中国系のビルは電球の取替えすら何日もかかり大変維持管理が悪いので人気がないとのこと。地震もあまり考えてないので、安易に立ててしまっているような高層ビルもいくつか目に入りました。泥棒市場と言われるニセモノばかり売っている市場の近くでは、いきなり日本語で「ともだち!ともだち!本物あるよ。」「ええっ、本物?」「そう!本物のニセモノね!!どお!」と沢山の男が擦り寄ってきます。同じ通りの少し離れたところに、日本ではありえないほど店舗面積の大きい最高級ブランドショップがあったりします。所得層の違いを考えると、当に、わけのわからない世界です。 上海では、ジェトロ上海事務所、外高橋保税区管理委員会、百五銀行上海駐在員事務所、中国進出企業を訪問しました。印象に残っているのは、外高橋保税区の説明をしてくださった方が、冒頭に「日本は社会主義国ですね。中国は共産党の元での超資本主義国家です。」とお話されたことです。大変よく勉強されている上でのジョークなのだと理解しました。百五銀行上海駐在員事務所では、同銀行のエースと思われる、小菅所長にお話をいただきました。中国の実態を本当にわかりやすくお話くださいました。「日本では、第三次中国ブーム、中国の記事を見ない日はないくらいのブームの中、当行も取引先企業の中国への進出が増え、それに伴い2003年10月に上海事務所を設立し、当行取引先企業の各種業務支援行なっている。」日中関係の現状としては、「いまや中国は世界の工場から巨大な市場になり、進出企業は変化と多様化し、対中投資も再び増加傾向。新管理弁法改正により、卸・小売・サービス業への外資解禁に伴い、日系サービス業(サイゼリア)の展開が注目される。上海市の一人当たりGDPは5000ドル超え、マイカー時代突入、不動産市場も高騰している。ビジネスとしては安い材料調達先の紹介(日本での生産コスト見直す契機)や、大型企業の再投資、小型サービス業、傘型でない販社設立の動きが活発である。」中国でサービス業が儲からないのは「CM、販促費、看板が日本なみに高額であること。上海市場は中国でも最も激戦区であり最も物価が安い場所であること。コンビニは全店赤字で、その原因は配送の高コストにあること。」など等、現地でならではの情報をいただくことができました。 中国進出企業の成功例として、大阪が本社のN社を訪問させていただきました。この会社は、テープ・フィルムを中心とした複合精密加工品の製造・販売と事業内容とする会社で、従業員は144名(内日本人5名)でした。同社の成功要因は、(1)携帯電話など中国の需要が拡大している製品部材を供給し、エンドユーザーの動向を生産計画に反映させている。(2)日本の設備や技術と中国の労働力をうまく組み合わせて互いの長所を取り入れている。(3)取引先を日系企業に絞り、売掛回収リスクをなくすとともに日本式営業員評価を行っている。(4)保税区の優遇処置を効果的に活用している。(設備、原料の輸入、増値税)が上げられます。成功例が少ない中、この会社は、中国人とのコミュニケーションがしっかり取れていることが最大の強みであると感じました。 大連は日本人にやさしい街です。最近なぜ大連が話題になるのか、現地に行って理解できました。「大連は戦前からの40年にわたる日本軍の統治下にあり、日本に友好的で、日本語教育だ盛んあること。大連の輸出産業の8割が日本向けで、運命共同体意識があること。そして、何より距離的な近さと物価が日本の5分の1くらいであること。」たとえば、旧国鉄職員の社宅街はそのまま大連市民の住居になっていました。訪問したIT企業は100%日本の大企業の仕事をしていました。ペットボトルは2元(28円)もあれば500CCのが買えるし、ホワイトカラーの平均賃金が1500元(2万円強)と言う説明もありました。すでに、GE、デル、ヒューレットパッカード等世界企業の日本向けコールセンターは大連にあります。IBM、NEC、松下電器の企業進出もあります。 大連では、中国に進出しているF社(岡崎本社)、JETORO大連事務所、IT系のA社を訪問させていただきました。そのほか、大連工科大学を中心とした「大連ソフトウェアパーク」はIT産業を中心にした多くの企業を誘致したところであり、大学のキャンパスが街になっているような地域でした。 大連での成功例として、F社を視察させていただきました。F社は大連第一工場で超極細電線の製造・販売、大連第二工場でコイル加工、成型、撚り線等を事業内容とする独資(100%出資)による海外拠点のひとつです。従業員は約1,300名(内日本人7名)。進出成功要因としては、(1)天安門事件で多くの企業が撤退する中で進出し、逆に中国国内販売等有利な条件での進出が可能であった。機を見た進出が戦略的に有利となっている。(2)大手が太い電線を大量生産し、価格競争を展開しているのに対し、付加価値の高い超極細繊維に特化し、その分野のオンリーワンとなっていること。(3)付加価値の高い技術水準を、日本の設備・技術移転とともに、徹底した品質管理、工程管理、および中国人にマッチした人的資源管理で実現していること。(4)経済技術開発区、先進技術企業の優遇処置を効果的に活用していること。(税制面等)が上げられます。F社は日系企業が現地生産、現地販売を実施ししている成功企業の1つであることは確かです。 大連で印象深かったのはA社です。業務内容は(1)データエントリー、DTP,デジタル制作事業、(2)ソフトウエア開発事業、(3)教育事業、(4)人材派遣事業で、社内に日本語教育や日本語による技術教育の学校を持ち、日本向け人材教育に注力し、日本の営業窓口として 別会社を有し、DTP分野では中国トップクラスの実績をあげています。情報サービス企業であり、日本の企業を相手に急成長している会社と言えます。大連市中心部にある森ビルを拠点として、社内の様子は日本にあるIT企業のオフイスと全く同じですが、200名の社員は皆若く、20歳台が大多数であり、明るく活気に満ちている雰囲気が感じられました。A社は日本をマーケットとして日本の顧客企業のニーズをいかに取り込み対応するかを常に考えている企業でした。特徴として、会社の経営者を始め幹部や一般社員は中国人である点です。彼らは日本の顧客に対応するため、日本語を習得し品質や納期を重視し新規顧客開拓に取り組んでいます。また、日本のマーケットにおいて近い将来日本の国内企業と競争していく自信を持っていました。 この好印象は、総経理のH社長の人柄によるだと思います。H総経理は30歳台で非常にエネルギッシュであり、流暢な日本語で自社のビジョンや営業戦略について情熱を持って語ってくれました。当初数名で会社を始め、6,7年で200名の会社に成長させた人物です。日本の大学に留学経験があり、当初繊維関係の工場に入社したが自分で新ビジネスに挑戦したくてこの会社を始めたとの事であり、H氏の事業経営への熱い想いは素晴らしいものでした。後日談ですが、8月に、CBでこのH社長を日本にお招きしパネラーをお願いしました。講演後、一緒に飲んでいて21時半過ぎ、彼の携帯が鳴りました。突然、「皆さんすみません、友達のところへ行くのでこれで失礼します。ありがとうございました。」「どちらまで?」「新宿です。」その場にいた、全員が耳を疑いました。しかし、H氏にとって、名古屋は東京の隣町であり、新宿はすぐそこなのです。これが中国人の感覚なのだと言うことを、教えてもらいました。 広東省の広州・深セン・香港も、大変記憶に残った視察旅行になりました。日常業務に追われて出発前に、広東省の事前知識が不足していたため、現地へ行って驚きの連続。広東省だけで1.1億人で中国23省中1位。GDPも1位。面積は日本の本州の面積より若干小さい程度。安易に、広州市から東莞経由で深センの工場とその先の香港へという計画をしていたのですが、その移動距離は東京・大阪以上。バスの空調もサスペンションも、道路状態も悪い中での移動はかなりハードでした。 広州市(流動人口も入れると1000万人)では、日本の一部上昇企業D社(自動車の電装部品製造業)の工場視察をしました。日本におけるD社の工場視察経験から比較すると設備・雰囲気等何一つ異なることなく、日本的な工場管理手法で運営されていました。要するに、人件費10分の1、土地代50分の1の力がそのまま企業利益に貢献しているという感じです。続いて、東莞市(500万人)まで舗装されてない道路を数時間移動し、やはり日本の上場企業S社(家電メーカー)の工場視察をさせていただきました。ここで、度肝を抜かれたのは、20歳前後の女性労働者が1万人、手作業で携帯電話バイブレータ用の超小型のモーターを製造していたことです。機械に頼らず安価な人件費の彼女たちの技術に、製品の品質とコストダウンを実現させていました。タイムカード置き場の面積だけでも、大きな壁一面を占領するかのようにズラッと並んでいましたから、圧倒されます。その人件費は、月10000円ほど。会社側に対する質疑の中で、「人件費が高騰するのでは?」というのがありましたが、「周辺にはいくらでも安い労働力がありますから。」という回答。必要なのは、語学堪能なスタッフと、本当にスキルの高い技術者で、こちらは人手不足のようです。 深センの工場視察は、香港資本のいわゆる中国現地企業でした。まず、会社のミーティングルームに案内されて、会社の概要を伺いました。そこでは、宇宙ロケットも飛ばせるようなハイテク、精密機械の工場の会社紹介イメージフイルムを見せられました。そして、総経理から「わが社との取引を是非!」という、営業トークが続き、CB側からの質問の余地もなく工場視察へと突入しました。ところが、実際の視察に入ると、現実との乖離にかなり疑問が残りました。深センは以前より電力の供給事情が悪いと聞いていましたが、ちょうどその時も停電でした。工場内は薄暗く、日系企業のような整理整頓はされておらず、暗い通路で立ち話をしている従業員のモチベーションは高そうには見えませんでした。この工場を紹介してくださった関与先は、視察旅行計画時点では取引をしていましたが、停電等を理由に納期を守らなかったり、不良品が多く出てしまったりで、パートナーとしては早々と見切り、他の会社との取引を始めていました。中小企業診断士としては突っ込みどころ満載の、悪い中国の例(これが実態?)を見ることができて、ある意味参考になりました。 香港は1997年にイギリスから中国に返還されたのですが、深センから香港に渡るのにはほんの目と鼻の先にかかわらず、大変な入国審査があり、驚きました。バスを何度も乗換え長時間待った挙句、パスポートのチェックは通常の入国と同じようにあり、貨幣にいたっては元から香港ドル。同じ国の中に何もかも違う経済・文化がある(1国家2制度)、を体感しました。そして、折角の香港でしたから、OPENちょうど1ヶ月目のディズニーランドへ数時間だけ行って来ました。東京ディズニーワールドを見ている者にとっては、目を疑うような状況になっています。香港政府も多額の投資をしてのテーマパークですが、広大な面積の駐車場にほとんど車が止まっていない。園内は小さい、シンデレラ城もホーンテッドマンションもない。キャラクターの着ぐるみだけが愛嬌を振りまいていて、いささか空しさを感じたのは私だだけではないようです。今年に入って責任者が更迭され、ディズニー本社から代わりの経営者を送られたのは記憶の新しいところであります。あと何年持つのか、あるいは大きく変わるのか。あるいは上海にも本当に作るのか?いろんなことを憶測してしまう香港ディズニーランドでした。 つぎつぎと、目が点になるような体感ができる中国。巷では、中国ブームは去って、インドほかのアジアに興味が移っていると言われていますが、「グレーターチャイナ(大中華圏)」の視点で考えると、まだまだ中国は未知の世界。今後とも目の話せない国であることは間違いない。私どもCBは今後とも、中国を研究して行きます。ご興味のある方はお声がけをよろしくお願いいたします。 |